2019年07月08日
2人とも若かった。
音楽交流受け入れを決定。
27年前の1992年、武蔵野音大を通じてフレデリック・ナイリーン教授が
初来熊。翌年の平成5年、ルーサー大学コンサートバンドとの交流事業がスタート、
平成22年まで5回来熊、当時武蔵野音大の宮本 潔さんの協力を得て
延べ377名の大学生が宇土にホームステイをしています。
それにしても2人とも若かった。
火災前の社長室で撮影の貴重な写真です。
下の写真は2回来熊のワートバーグ大学ハンコック教授と宮本 潔さんです。
5月ルーテル大学にて。
27年前の1992年、武蔵野音大を通じてフレデリック・ナイリーン教授が
初来熊。翌年の平成5年、ルーサー大学コンサートバンドとの交流事業がスタート、
平成22年まで5回来熊、当時武蔵野音大の宮本 潔さんの協力を得て
延べ377名の大学生が宇土にホームステイをしています。
それにしても2人とも若かった。
火災前の社長室で撮影の貴重な写真です。
下の写真は2回来熊のワートバーグ大学ハンコック教授と宮本 潔さんです。
5月ルーテル大学にて。
Posted by 九谷新吾 at 13:06│Comments(0)
│国際交流活動